村上春樹的、聖地巡礼の日

今日2013年4月12日は村上春樹さんが4年ぶりに長編小説を発表という事で、ニュースでも報道されました。既に予約だけで50万部を売り上げ、書店も盛り上がりを見せております。実際、私も朝10時開店とともに書店に向かいまして、購入してきました。

前回の1Q84は今までの長編とは少し趣や語り口が変わっていて、ソフトでとても読みやすいものに変化していました。歳とともに作風も新たに変化し、今作もどのような春樹ワールドが展開されるのか嫌がおうにも期待が募ります。

私も先ほど少しだけ開いてみましたが自殺願望を持った主人公の多崎つくるが今後どのような物語に迷い込んでゆくのか興味津々であります。ただ、世の中にはハルキストと呼ばれる村上春樹研究家のような方達がおりまして、その方達がもう既に日付が変わる頃から読みふけって書評などを書いておられますので、私のようなミーハーな一読者が新作の内容についてうんぬん言うのはここではひとまず置いておこうと思います。

4年ぶりの新作の中身もあらすじも、何なら主人公も知りたくないよーという方がたくさんおられると思いますので、ここはひとまず、新作の内容からは離れ、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の題名をもじりまして、『村上春樹的、聖地巡礼の日』と題しまして、彼の原点の地、国分寺をぶらり散歩してみました。

■駅から坂道を降りてすぐ『ピーターキャット跡地』

なぜ国分寺なのかと言いますと、デビュー前は学生結婚した奥さんと国分寺で『ピーターキャット』というジャズバーを開いていました。今やノーベル文学賞に一番近い男とも呼ばれる彼ですが、まだ実に24歳のときのお話。浪人してやっと入った貧乏学生の頃ですからもちろんお金もなく大分苦労したそうです。場所は国分寺駅南口から左手に坂道を3分ほど下った坂の下になります。

著書の『村上朝日堂』の中ではこのように述べています。

「…資金のことを言うと、僕と女房と二人でアルバイトをして貯めた金が二百五十万、あとの二百五十万は両方の親から借りた。昭和四十九年のことである。その当時の国分寺では五百万あればわりに良い場所で二十坪くらいの広さの、結構感じの良い店を作ることができた。五百万というのは殆ど資本のない人間でも無理すれば集められない額の金ではなかった。つまり金はないけれど就職もしたくないなという人間にも、アイデア次第でなんとか自分で商売を始めることができる時代だったのだ。国分寺の僕の店のまわりにもそういった人たちのやっている楽しい店がいっぱいあった。…」

500万円と一口に行っても昭和40年代。今とは貨幣価値もちょっと違います。奥さんの実家にまで借金したお店は順風満帆とは行かなかったようです。ただ周りには同じように若くして音楽などを志した方達が思い思いにお店を出しているような土地柄でした。確かに今も斜め向かいには『ほんやら洞』というシンガーソングライターの中山ラビさんが経営するカフェバーがあって、少し時代は代わりますが芥川賞作家の花村満月さんやいしかわじゅんさんが足しげく通っていたらしいです。今でもやっていますが、カレーがおいしいお店です。

また国分寺は学芸大や一橋、津田塾など大学が近くに多く、学生が多く集まるジャズの街としてジャズフェスティバルが開かれています。少し離れると大きなお屋敷が立ち並ぶ山の手と、アングラな雰囲気を感じさせる文化的な部分が混在する街だからこそ、村上氏も国分寺を選んだのかもしれませんね。

この時代の事を著書でもいくつか書かれているので、ここで初期の作品の構想が練られたのかなぁなんて空想に耽るのもいいかもしれません。残念ながらデビュー前の77年にピーターキャットは国分寺から、千駄ヶ谷に移転してしまうのですが…

■周辺の施設にも関連があるようなないような

このピータキャットの跡地のトミービルの横にすぐあるのが『都立殿ヶ谷戸庭園』です。園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっていて、国の名勝にも指定されている日本庭園です。

こちらもともとは満州鉄道の副総裁だった江口 定条の邸宅跡地。それを三菱財閥の岩崎弥太郎の孫、岩崎彦弥太が別邸として買い受け、さらにそれを東京都が買い上げたという経緯があります。

満州鉄道と言えばノモンハン事件など日本近代史に何度も登場するキーワードですが、村上作品においても先の1Q84で殺し屋でもある主人公の青豆がバーで取り出す本は満州鉄道に関する本ですし、ねじまき鳥クロニクルでもノモンハン事件の前後が主な舞台となっています。村上作品では過去をさかのぼると、満州というキーワードがよく出てきます。

この辺りもきっと何かつながりがあるのかもしれませんね。

■オススメ長編はこちら

さて、村上氏は小説家としてたくさんの本を発表しているように思いますが、実は短編やエッセーがとても多く、長編は意外な事に10作ちょっととそれほど数は多くありません。そんな数少ない長編の中でも個人的にオススメなのが『国境の南、太陽の西』です。

あらすじ…僕(ハジメ)は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちながら育つが、成長と共にそれを克服しようとする。結婚、「ジャズを流す上品なバー」経 営の成功などで裕福で安定した生活を手にするが、「僕」の存在の意味を改めて考える。そんな時にかつて好きだった女性が現われて―。

主人公はジャズバーを経営しています。何だか自分自身の事を書いているようですね。ここでもバー経営をしていた自身の経験が活字に活かされています。

主人公のはじめは小学校の時に足の悪い島本さんと言う女の子と出会い、仲良くなり、青年になるにつれ疎遠になり、また大人になって再会するという、何て事ない不倫関係のお話なのですが、そこにはノルウェイの森で書かれたような様々な人間の喪失感ややり場のない渇望などが独特のタッチで描かれています。

ジャンルは全然違いますが、アニメ『秒速5センチメートル』という作品を初めてみたときもこのような気持ちを抱きました。言葉では表現できない何とも言えない喪失感がその世界にはあります。

この物語は長編として発表されていますが、実は後に発表される『ねじまき鳥クロニクル』の第一稿の削られた部分だそうです。これは同時に2本長編ができたということになりますね。さすが村上氏、削った部分がこの作品とは凄い才能です。個人的にはこちらの方がよりセンチメンタルなお話で好きな作品です。

 

■舞台は国分寺に戻って

ジャズバーは跡地でしたが、今日は天気もいいので、もう少し聖地巡礼を楽しんでみましょう。駅の反対側に足を向けると、春樹氏が住んだマンションが少し離れたところにまだありました。

メゾンけやきというマンションですが、こちらは国分寺駅南口をでて右側に徒歩10分ほど歩いたこれまた坂道の下にあります。ちょうど谷のような所にありまして、このマンションを底として両サイドが坂道となって西に向かうと西国分寺に向かいます。この付近はよく通っていた食べ物屋さんなどエッセイで語られている場所です。若き日の思い出とはいつまでも自分の胸の奥底にあるものなのですね。

さて、坂道を上ると、今やゆるキャラで有名な街、西国分寺です。西国分寺と言えばにしこくんですね。今やガッキーと共演してお茶の宣伝にも登場しています。

武蔵の国の妖精《にしこくん》☆
現在2歳の妖精。武蔵の国・国分寺跡から発掘された“あぶみ瓦”をモチーフとした、丸いグレーの顔からにょきっと出た足がチャームポイントだブーン( *`ω´)東京の中央線沿線でゆるく活動中( *`ω´)宜しくブーン!

…だそうです。村上春樹的聖地から大分離れてしまいました(汗)。ただ、先述のマンションのメゾンけやきは国分寺市内では2件目の住居だそうで、その前は西武国分寺線と中央線に挟まれた三角地帯と呼ばれた所に住んでいたと、短編「カンガルー日和」の中の「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」で語っています。私も三角地帯を望みながら近隣をぐるりと一周しました。すると、気分の落ち着ける所へ出ました。

私は遠回りしましたが、先ほどのメゾンけやきの坂道を上る事、数分でこの武蔵国分寺公園に到着します。もともとは鉄道公園があった場所で、広大な敷地にゆったりとした時間が流れています。ここでも鉄道というキーワードが出てきましたね。何か所以を感じるこの三角地帯。この辺りは細い路地が入り組んでいて、まるでねじまきどりクロニクルに出てくる世界のようです。

パッと開けた青空に深呼吸。今日は天気もよいですし、買ったばかりの新書を手にベンチで読書は最高でしょうね。というわけで、村上春樹的、聖地巡礼はこのぐらいにして、新書を読みふけりたいと思います。

またの機会に、風の歌を聴けをビールを飲みながら書いたと言われる千駄ヶ谷(ピーターキャット2号店)にも足を運んでみれたらなぁと思います。 それでは、良い週末を!

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