2010年代の日本テニス界といえば、錦織圭選手です。今でもテニスといえば、錦織というくらいに認知度は高く、世界での知名度は大谷選手をはるかに超える(野球は欧州では知名度が低いので)スーパースターです。その日本の大スターが今年いっぱいでコートを去る決断をしました。
幾度となく自分もその果敢なプレーに勇気をもらい、そして楽天オープンなどでも実際に目にして、そ楽しませてもらいました。そんな錦織選手も今年いっぱいで見られなくなると思うととても寂しい気持ちでいっぱいです。初優勝からテレビなどでも拝見していて、追っかけて来ましたので、彼の偉大な功績を少しだけ紹介させていただきます。

1989年12月29日、島根県松江市に生まれ、小6で中国地方代表として出場し、全国制覇。この年の修造チャレンジにも招待され、高校生相手に勝利。ソニーの副社長が運営する盛田正明テニス・ファンド (MMTF)に参加。この時に来日していたIMGアカデミーヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、IMGアカデミーへ。中学2年生の時にはモロッコのG3ジュニア大会決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに勝利し優勝。
だんだんとその名を知られ始め、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めたり、チャレンジャー大会などでも頭角を現し始めます。17歳9ヶ月で、ジャパンオープンでプロデビュー。翌年2月のデルレイビーチ国際テニス選手権で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で世界ランク12位、第1シードのジェームズ・ブレークを3-6, 6-1, 6-4で破り、ツアー初優勝を達成。日本人としては松岡修造氏以来、16年ぶりのツアータイトルとなりました。

その年のウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権で世界ランク2位のラファエル・ナダルと対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘。ナダル選手は
「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしました。彼の目は確かで、2014年には本当に世界トップ10を超え、最終的にはアジア人トップとなる4位まで登り詰めました。
この時の上3人は、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ選手ですから、時代が時代ならば余裕で世界1位になれたのではと思ってしまいます。
その後の活躍は皆様の知るとおりで、2014年 全米準優勝、アジア人初の生涯獲得賞金1000万ドル突破、2016年 リオ五輪銅メダル、年間勝利数世界3位と眩いばかりの功績を残して来ました。
テニスという文化も日本に再びブームを起こしたのも、彼なしではあり得なかったと思います。

身長178cmと小兵の彼が、いまや2m近い大男が走り合うコートでバッタバッタと快進撃を続けていく様子は爽快でもありました。主に欧州がメインのスポーツなので、中継は朝方までになり、翌日睡眠不足で出社される方も多かったと思います。
そんな彼も2020年代は怪我に苦しみ、通年ではコートに立つことはかないませんでした。時折、復帰戦で見せる、きらめきは全盛期を感じさせるものがありますが、テニスはトーナメント制で2日おきの試合が続くタフなスポーツ。年齢からもリカバリーが遅くなり、慢性的な怪我がある彼には厳しい戦いが続いたかと思います。

これからは師匠の修造氏のように、知名度を生かして日本テニスの発展に寄与して、彼を超える才能を是非育てていただければと思います。長い間、お疲れさまでした。残りのシーズンも最後の光を放ってくれることを期待しております。






