月夜を見上げて

2010年9月18日


先日までの猛暑が嘘のように、涼しい風が吹くようになりました。

9月に入りだんだんと景色も秋めいて、夜も過ごしやすくなってきましたね。8月は熱中夜続きでクーラーを付けて過ごしていたので、空を眺めることもありませんでしたが、これだけ涼しくなると夜空を眺める機会も増えてきたと思います。

今年は『中秋の名月』(十五夜)にあたる9/22がお月見の日。後の月と呼ばれる十三夜は10/20日になります。

各地でお月見のお作法は違うようですが、一般的なのがすすきをお供えしてお団子を頂く事ですよね。元々は旧暦の8/15日前後には里芋などのお芋が収穫される時期だったようで、そのお芋を食べる習慣があったようです。

地方ではおはぎを食べるところや、柏餅などを頂くところなどその土地土地での習慣は違いますが、全国的にさながら日本版ハロウィンのように「おつきみどろぼう」という習慣があるようで、お供えしたお持ちなどを子供達が盗み食いするという習慣があるようです。調べてみてはじめて知ったのですが、私の周りではそういった行事がなかったので、欧米と似たようなお祭りがあった事に驚きました。収穫のお祝いという点では古今東西変わりがないものなのですね(笑)

ところで月という言葉はどこからきかたかご存知でしょうか?
いくつか説があるようですが、以下のような説が有力なようです。

  • 「次」(つぎ)から来ているという説。太陽の「次」、つまり太陽(最も明るい天体)を一番め、月をその次の二番めとしたことから、「つき」と呼ばれたという説です。
  • 同じく「次」だが、日神(太陽の神)の次に月神(月の神)が生まれたので、「つき」と呼ばれているという説。『日本書紀』の中では、まず日神(イザナギノミコト)が生まれ、その次に月神(イザナミノミコト)が生まれています。
  • 「尽きる」から来たという説。月には満ち欠けがあります。満月から次第に月の明るさは小さくなり、新月になれば月はまったく見えません。明るさが「尽きる」ことから、「つき」と呼ばれるようになったという説です

どの説も興味深いですね。英語では月にまつわる言葉としてlunaという言葉が使われますが、狂気や錯乱のような意味合いを含むようです。表が太陽や地球だとすると、夜にしか明るく現れない月は裏側という側面をもっていて、人間の感情の裏側(狂気)を司る象徴として見られたのかも知れませんね。

感情を左右する惑星『月』。
だからこそ、人は月に願いごとをするのかもしれませんね。

地球から最も近い天体『月』ですが、冷戦時代は65回もの月面着陸が行われましたが、1972年のアポロ17号以来、38年も人類は到達出来ていません。私も子供のころは大人になれば、街にはリニアモーターカーが走り、月には月面基地ができて月旅行ができるものだと漠然と思っておりましたがどちらもまだ完成すらしていません。いつの間にか月旅行なんて夢の話になり、宇宙への関心も薄れてきました。

宇宙開発はロケット開発の歴史であり、冷戦を象徴するテクノロジーの戦争でもありました。宇宙に関心の失われたこの30年は冷戦崩壊とともに訪れたモラトリアムで、平和な時代が流れている証拠なのかもしれませんね。

近年、月が地球の組成と似ている事や、主だった鉱物資源などないことなどから、宇宙計画は火星にシフトしておりましたが、21世紀を迎えたここに来て宇宙開発は激化の様相を見せてきました。中国は2012年までに探査船を、インドは2014年までに有人飛行を、ロシアもルナグローブ計画を再開するなど21世紀に入ったいまも月に向けられる視線は熱いです。

時を同じくして日本でも先日『はやぶさ』がイオンエンジンで小惑星『イトカワ』からの小惑星サンプルリターン計画に成功するなど宇宙計画が話題になっております。

月夜を眺めながら、宇宙に馳せる人類のロマンと、宇宙空間で繰り広げられる各国のテクノロジー戦に思いを馳せるのもまた一興ではないでしょうか。

梨もぎに行って来ました

2010年9月10日

今回の特集は「収穫を楽しむ」ということで、梨もぎに行って来ました。

お世話になったのは、松戸にある「高愛梨園」さん。
道路沿いでは収穫された梨も販売されていました。

梨もぎに来た事を伝えて、園内に案内してもらいました。

梨もぎ用に低くなっている木(高さ160cmくらい)には大きな梨が鈴なりでした。

豊水という品種で、ソフトボールくらいの大きさの実でした。
空いている時間帯だったこともあり、案内の方がもぎ頃の実を探して下さいました。
これで2Kgです。(¥1,260)

店舗の横にはいくつかテーブルが用意されていて、そこで梨を剥いて食べる事ができます。
特別に「幸水」を1ついただきました。
そこで園の方に松戸の梨のお話を伺ったり、最近の気候の話をさせていただきました。

持ち帰った実は瑞瑞しく適度に甘く、夏の水分補給には最適でした。

伊豆大島に行ってきました

2010年9月3日

8月の終わりに伊豆大島に行ってきました。

大島までは竹芝桟橋からジェット船で1時間45分。

ジェット船はジェットエンジンで海水を吹き出し、海水から浮き上がる力を得て飛ぶそうです。海上を”飛ぶ”ってすごいですよね。

 


船から見る大島。空と海がとてもきれいです。

 

大島ではまず海に行きました。


海水が澄んでいてとてもきれいでした。魚も見えました。

大島は海底からそびえる活火山の陸上部分だそうで、砂浜が黒いです。

港から1番近い海水浴場に行ったのですが、すいていて、のんびりできました。

それから、三原山に登りました。


三原山の入口。

黒く見えるのが溶岩が流れた跡だそうです。

山はごつごつした溶岩がいっぱいです。

結構、急な傾斜です。久しぶりの山登りな上、とても良い天気で暑かったので大変でした。

登り始めて1時間程で頂上に。

頂上から見渡した景色。

 

頂上にある火口に行きました。

吸い込まれそうな感じで迫力があります。

 

また、「椿・花ガーデン・リス村」にも行きました。

リスやうさぎに直接エサをあげることができます。

タイワンリスです。(シマリスもいました。)

手袋をしてひまわりの種をあげます。

エサを持っているとたくさんリスが近づいてきます。

手に乗りました。飛び乗ってきます。

両手で上手にひまわりの種を持って、割って食べる姿がかわいかったです。

 


そして、うさぎにもエサ(クッキー)をあげました。

エサをもらえるのを待っているところです。

このうさぎ以外にも様々な種類のうさぎがいました。

 

有名な 「地層大切断面」

伊豆大島の火山噴火史を物語る地層です。100~150年に1回におきる大噴火によってできたそうで、美しい縞模様になっています、高さ30m・長さ600mにわたって続いています。

 

その他にも、大島では温泉や美味しい料理を堪能しました。
美しい自然に囲まれ、癒される旅でした。

鹿にまつわるよもやま話

2010年8月24日

「2011年7月地デジ化完了」ということで、地上デジタル放送への切り替えの期限までもう一年を切りました。

ところで、みなさん「地デジ化」推進のキャラクターをご存知でしょうか?

 

そうです。

もうすっかり有名になった「地デジカ」ですね。

黄色い服を着たかわいらしい鹿のキャラクターです。

 

そこで、今回は「鹿」に関する情報を集めてみました。

まずは、その「地デジカ」から。

社団法人日本民間放送連盟のホームページ(http://www.nab.or.jp/chidejika/index.html)によると、

『誕生日・・・2003年12月1日
完了日・・・2011年7月
生息地・・・日本
身長・・・1m
体重・・・15~20kg
特技・・・カメラ目線
長所・・・焦らないこと
短所・・・おせっかい』

あのツノは、やはり「アンテナ」で、屋根に刺すそうです(すぐに新しいものが生えてくるらしい)。鹿A

続いて、鹿の角(つの)。

鹿の角は英語で「アントラー(anter)」と言います。

Jリーグのサッカーチームの一つ「鹿島アントラーズ」は、鹿嶋市(ホームタウン)にある鹿島神宮の鹿にちなんで、チーム名に「アントラー」を使い、マスコットを鹿にしています。

『・アントラーズって、どんな意味?

アントラーズの”アントラー”は鹿の枝角のこと。

鹿島地域を代表する鹿島神宮の鹿にちなんだもので、枝角は茨城県の茨をイメージしています。

鹿のように広く愛され、そして、戦いの時は、その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指す、という意味を込めました。

・チームカラーとマスコット

サッカーへの燃えるような情熱をイメージして、チームカラーは”アントラーズレッド”。

これは、茨城県花のバラの色にもちなんでいます。

そしてクラブマスコットは鹿島神宮の「鹿」。

愛称は「しかお」。

97年3月2日に「しかこ」と結婚。

99年8月1日に長男「アントン」が誕生しました。

地域の皆さんをはじめ多くの人々に愛されるチームに、という想いとともに、このキャラクターたちは生まれました。

どうぞよろしく。

姿を見かけたら、気軽に声をかけてくださいね。

(鹿島アントラーズ公式サイトよりhttp://www.so-net.ne.jp/antlers/clubs/team

 鹿

次は、鹿で有名な場所を3つ(鹿島神宮奈良公園厳島)。

『鹿島神宮の鹿

鹿園鹿島神宮には鹿園があり、神の使いとして親しまれている30数頭の日本鹿が飼われている。

鹿園の説明書き等によると、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大御神の命令を武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、鹿島神宮では鹿が使いとされている。

また、藤原氏による春日大社の創建に際して、767年(神護景雲元年)に、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったとされている。』鹿島神宮

『奈良公園の鹿

この公園に鹿がいることには以下のような由来がある。

すなわち、鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島含め3社の分霊)。

それゆえ、奈良公園の鹿は古くから手厚く保護されてきており、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けた。

伝説によると誤って文鎮で鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸とともに生き埋めとなり、その墓が奈良公園周辺に残っている。

今でも地元の住民は鹿に愛着の念と共に畏敬の念を併せ持つといわれる。』

鹿B

『厳島の鹿

厳島のシカは太古から生息していたと見られるが、歴史時代に入ると奈良の春日大社にある神鹿(しんろく)思想の影響も受けつつ、神の使いとして大切に扱われた。

シカが家に入らないように「鹿戸」を立て、家々で出た残飯は「鹿桶」に入れて与えた。

房顕覚書によると、シカを害するのを避けるため、島内では犬を飼わず、外から犬が入り込むと島民が捕まえて対岸に放したという。(それぞれWikiより抜粋)』

 

最後に、「鹿」から生まれた言葉を2つ(馬鹿シカト)。

 

「馬鹿」の語源として有力なのは以下の説です。

『秦の2代皇帝・胡亥の時代に権力をふるった宦官・趙高が、あるとき皇帝に「これは馬でございます」と言って鹿を献じた。

皇帝は驚いて「これは鹿ではないか?」と尋ねたが、群臣たちは趙高の権勢を恐れてみな皇帝に鹿を指して馬だと言った、という『史記』にある故事からくるとする説。(Wikiより抜粋)』

鹿
「シカト」は、

『花札の十月の絵柄「鹿の十(しかのとお)」が略された語。

十月の札は、鹿が横を向いた絵柄であるため、そっぽを向くことや無視することを「シカトする」と言うようになった。

(「言語由来辞典」よりhttp://gogen-allguide.com/si/shikato.html)』

 鹿ともみじ

 

 

というわけで、鹿にまつわるよもやま話を集めてみました。